450億元
中国オーラルケア市場規模
(2025年推計)
30年超
ライオンの中国進出
歴史(1993年〜)
年率8%
プレミアム歯磨き粉の
市場成長率(2026年予測)
14億人
潜在市場規模
歯ブラシ普及率は急上昇中

1. 「歯磨き粉」という身近な商品が映す中国消費の変容

「歯磨き粉」はどこにでもある日用品だ。しかし中国では今、この商品が急速に変貌しつつある。かつては「1本数元(数十円)の安価な消耗品」だった歯磨き粉が、2026年現在は「美白効果」「歯周病予防」「ホワイトニング」「プロバイオティクス配合」といった機能性を訴求する高価格帯へと移行しつつある。1本30〜100元(約600〜2,000円)の歯磨き粉が、小紅書(RED)のレビューで「歯科医が推薦」「国産ブランドより効く」と口コミを集め飛ぶように売れる——そんな光景が当たり前になっている。

この「プレミアム化」の波は、ライオン株式会社にとって30年越しのチャンスかもしれない。日本市場で「システマ」「クリニカ」「Checkup」などの歯科専門ブランドを展開してきたライオンは、「歯科医の指導のもとで使う高品質な口腔ケア用品」というポジションを中国でも確立しようとしている。

図1|中国オーラルケア市場規模の推移(2018〜2026年)
出典:Euromonitor・中国産業情報網・各種業界調査をもとに編集部推計
市場全体の伸びを上回るペースでプレミアム帯(30元以上)が拡大している

2. ライオン30年の中国進出史——試行錯誤から「歯科チャンネル」戦略へ

ライオンが中国に本格参入したのは1993年のことだ。改革開放後の中国市場に可能性を見出し、上海に現地法人を設立した。当初は「ライオン」ブランドの歯磨き粉・歯ブラシを一般消耗品として大手スーパー(KA)に流通させる戦略を取った。しかし、その戦略は中国ローカルブランドの驚異的な低価格攻勢と、P&G・コルゲートという欧米グローバル企業の強力なブランド力に阻まれ、思うような成果を上げられなかった。

1993年
上海狮王(ライオン)設立——中国市場に本格参入
上海に現地法人設立。KAチャンネルを中心に一般消耗品として展開。
2000年代
苦戦期——ローカル勢・欧米勢との競合激化
雲南白薬・黒人歯膏(ダービー)などのローカルブランドが台頭。価格競争に巻き込まれる。
2010年代
「システマ」歯科チャンネル戦略へ転換
歯科医院・歯科大学経由の専門流通にフォーカス。「歯科医が選ぶ」ポジションへ転換。
2018〜
EC強化——天猫・JD・小紅書でプレミアム訴求
健康意識の高まりを背景にECでの認知拡大を図る。「歯周病予防」カテゴリを攻める。
2022〜
ポストコロナ・プレミアム化の波に乗る
健康志向の急速な高まりでオーラルケアへの消費者関心が上昇。日本製品への信頼が復調。
2026年
インバウンド連携・訪日中国人への訴求も強化
「日本で歯科医が推薦する歯磨き粉」として訪日中国人富裕層への認知浸透を図る。

最大の転換点は2010年代に実施した「歯科チャンネル」戦略へのシフトだ。一般スーパーで価格競争を戦う代わりに、歯科医院・歯科大学・歯科専門店という専門流通チャンネルに集中投資することで、「歯科医が患者に勧める歯磨き粉」というポジションを獲得した。この戦略は、中国における歯科治療へのアクセスが改善し、歯科医院の数が急増した2010年代に特に有効だった。

3. 中国オーラルケア市場の競合地図——四つ巴の戦い

中国の歯磨き粉市場は現在、大きく4つの勢力が覇権を争っている。

図2|中国歯磨き粉市場 主要ブランド別シェア(2025年・金額ベース推計)
出典:Euromonitor・各種業界調査をもとに編集部推計
ライオンはシェア全体では小さいが、プレミアム歯科チャンネルでは高い存在感を持つ
ブランド(企業)強み主な価格帯中国消費者の認知
雲南白薬(Yunnan Baiyao) 「止血・歯茎ケア」漢方成分への絶大な信頼。国潮ブームの象徴。 30〜60元 最高
コルゲート(P&G系) グローバルブランド力。「虫歯予防」の定番。価格帯が広い。 15〜50元 非常に高い
黒人歯膏(ダービー) 長年の歴史・低価格・「炭配合」新商品でZ世代に人気。 10〜35元 高い
ライオン(システマ) 歯周病予防の専門性。歯科医師チャンネル。「日本製」信頼。 35〜80元 中程度(歯科専門層で高い)
舒適達(Sensodyne・GSK) 「知覚過敏」専門ポジション。歯科医院での推薦率が高い。 35〜70元 中程度(専門層で高い)
国潮ブームとオーラルケア:「国産を応援する」消費トレンドが2020年代に加速し、雲南白薬や中国系ブランドが急成長した。しかし2025〜2026年にかけて「効果・成分の科学的根拠」を重視する消費者が増え、再び日本・欧米の専門ブランドへの関心が戻りつつある。「国潮疲れ」とも呼ばれるこの動きは、ライオンにとって追い風だ。

4. 「システマ」が中国で選ばれる理由——歯科専門性という差別化

ライオンの中国戦略の核心は「システマ(SYSTEMA)」ブランドの展開にある。システマは日本では歯科医院で販売される「歯周病予防の専門ブランド」として30年以上の実績を持つ。中国でこのブランドをどう差別化しているのか。

01
歯科医院チャンネルが「お墨付き」を作る
中国の歯科医院(口腔診所)数は急増しており、2025年現在で全国に10万件超。歯科医師が患者に「システマを使ってください」と推薦するルートを確立することで、一般消費者への信頼伝播が起きる。
02
「歯周病予防」という専門カテゴリの確保
雲南白薬は「歯茎の止血・ケア」、コルゲートは「虫歯予防」を掌握している。ライオンはその隙間にある「歯周病の予防・管理」という専門カテゴリを主戦場に選んだ。中国人の歯周病有病率は約90%とも言われ、潜在市場は巨大だ。
03
「日本製品の安全神話」が機能するカテゴリ
中国消費者の間では「日本の口腔ケア製品は品質が高い」という認識が強い。特に成分の安全性・歯茎への優しさを重視する消費者層(出産後の女性・中高年層)でこの傾向が顕著だ。インバウンド需要とも連動する。
04
小紅書での「成分解説コンテンツ」が刺さる
「フッ素濃度」「研磨剤の種類」「歯茎への刺激成分」——こうした成分情報を詳細に解説するKOCノートが保存率を高める。「なぜ良いのか」の根拠を提供できる点でシステマは他ブランドより有利なポジションにある。
05
歯ブラシとのセット訴求でロイヤリティを高める
歯磨き粉単体ではなく、システマブランドの超軟毛歯ブラシとのセットで訴求することで「オーラルケアシステム」としての購買を促進。歯ブラシのリピート購買が歯磨き粉へのブランドロイヤリティにつながる好循環を作る。
06
訪日中国人のお土産需要が認知の「種」になる
「日本で買ったシステマが良かった」という体験談が帰国後にREDや口コミで拡散する。訪日インバウンドの増加がそのまま中国国内需要を喚起する「旅行者→口コミ伝播」ルートはライオンにとって貴重な無償広告になっている。

5. 価格帯別市場の変化——「安さ」から「機能」へのシフト

図3|価格帯別シェアの変化(2020→2025年)
出典:各種業界調査・編集部推計
図4|中国消費者のオーラルケア関心領域(2026年)
出典:各種消費者調査・編集部推計

価格帯別に見ると、2020年から2025年の5年間でプレミアム帯(30元以上/本)のシェアが約18%から約31%へと急拡大している。背景にあるのは中国中間層の所得上昇と、コロナ禍以降の健康意識の急激な高まりだ。特に「歯周病予防」「ホワイトニング」「知覚過敏ケア」という機能を訴求する商品への需要が顕著だ。

ライオンのシステマはこのプレミアム帯の中でも「歯科専門性を持つ35〜60元帯」をターゲットにしている。雲南白薬(30〜60元)とほぼ同価格帯での競合になるが、「漢方・伝統」対「歯科科学・専門性」という軸で差別化を図っている。

6. EC戦略と小紅書活用——デジタル時代の市場開拓

ライオンが中国のEC戦略で重点を置くのは、天猫(Tmall)国際版と小紅書(RED)の二本柱だ。従来の歯科院チャンネル中心の戦略では届かなかった「歯科専門性を知らない一般消費者」にリーチするため、EC×コンテンツマーケティングの組み合わせを強化している。

図5|ライオン中国向け販路別売上構成の変化(2019→2025年推計)
出典:ライオン有価証券報告書・業界調査をもとに編集部推計
ECチャンネルの比率が急上昇。歯科院チャンネルと合わせて「専門性」軸を維持しながらリーチ拡大

小紅書(RED)でのコンテンツ戦略

小紅書においてシステムブランドが有効に機能するコンテンツカテゴリがある。「歯科衛生士が教える正しい歯磨き」「フッ素濃度1450ppmの意味」「歯周ポケットを減らすブラッシング方法」——こうした教育系コンテンツは保存率が高く、アカウントへの信頼を醸成する。「歯磨き粉の広告」ではなく、「口腔ケアの知識提供者」としてのポジショニングがREDで最も効果を発揮する。

実際、「日本の歯科医がおすすめする歯磨き粉ランキング」「敏感歯茎に優しい歯磨き粉 本当に効く5選」といったKOCノートでシステマが言及されるケースが増えている。公式の広告よりも、こうした第三者の「正直レビュー」のほうがREDユーザーには響く。

インバウンド連携という強み:「日本旅行中にドラッグストアで買ったシステマが良すぎて中国でも買いたい」という導線が確立されつつある。訪日中国人富裕層が日本で体験した製品をREDで紹介し、それを見た中国国内ユーザーが天猫国際で購入する——このサイクルがライオンにとって最も費用対効果の高いマーケティングルートになっている。

7. 課題と逆風——「国潮」「EC戦争」「価格圧力」の三重苦

有望な市場環境がある一方で、ライオンが中国で直面する課題も深刻だ。

図6|ライオンの海外売上比率と中国市場のポジション(2020〜2026年推計)
出典:ライオン有価証券報告書・編集部推計
海外売上全体は増加傾向。中国は東南アジア市場と並ぶ成長柱として位置づけられている
課題内容深刻度
国潮ブームとローカル回帰 「中国製を買う」意識の高まりにより、雲南白薬・片仔癀(かんじこう)など漢方系ブランドが若年層でも支持を拡大。「日本製より国産を」という消費者感情が一部に残る。 中程度
EC価格競争の激化 天猫・JDでの価格比較が容易になり、プレミアム帯でも値引き圧力が常態化。「専門性」ブランドとしての価格維持が難しくなっている。 高い
ブランド認知の低さ 歯科専門チャンネルでは知られているが、一般消費者への認知は依然低い。広告予算規模で雲南白薬・コルゲートに大きく劣る。 高い
為替リスク 円安が続く局面では日本から輸出するコストが上昇。現地生産のコスト競争力向上が課題。 中程度
⚠ 「国産信奉」と日中関係リスク
日中関係の政治的緊張が消費行動に影響するリスクは常に存在する。2010年代に花王・資生堂などの日本ブランドが政治問題を契機に一時的に不買運動の対象となった事例があり、ライオンも例外ではない。「日本製品」というアイデンティティを前面に出しすぎることへの注意が必要で、現地化(現地生産・現地ブランド管理)を進めることがリスクヘッジになる。

8. 2026年の成長シナリオ——「歯科×プレミアム×デジタル」の三位一体

課題はあるものの、中長期でライオンが中国市場で成長できるシナリオは十分にある。カギを握るのは「歯科専門性・プレミアム化・デジタルマーケティング」の三つの要素を組み合わせることだ。

シナリオ1:歯周病予防ブームへの乗乗り——中国では歯周病(歯槽膿漏・歯茎の腫れ)に悩む成人が極めて多く、成人の90%以上が何らかの歯周問題を抱えているとも言われる。雲南白薬が「止血・急性期の歯茎ケア」なら、ライオンシステマは「歯周病の予防・長期管理」という位置づけで棲み分けが可能だ。「歯周病を治す」のではなく「かかりにくい口腔環境を作る」という予防医学的訴求は、中国で急速に高まる「未病管理」(病気になる前に健康を守る)ニーズと合致する。

シナリオ2:富裕層インバウンドの購買転換——「日本で体験→中国でリピート」の購買ループを組織的に設計することで、訪日旅行という体験をそのまま継続売上に変換できる。ドラッグストアのマツキヨ・ツルハ等と連携し、中国人観光客向けに「システマ入門セット」を展開する施策は、帰国後のEC購買の起点となりうる。

シナリオ3:子ども向けオーラルケアの展開——中国の少子化政策緩和後、子どもの歯の健康への保護者の関心は急上昇している。「子どもの初めて歯磨きはライオン」というポジションを作ることができれば、親世代がリピーターとなり、次世代のブランドロイヤリティも育成できる。

日本企業への示唆
ライオンの中国戦略が教えることは「コモディティで戦わない」という一点に尽きる。歯磨き粉というあらゆる国民が使う日用品でも、「専門性(歯科医師推薦)×高品質(日本製)×ニッチカテゴリ(歯周病予防)」という掛け算で差別化できる。規模で劣る日本企業が中国で生き残る道は、価格競争ではなく「専門性の深堀り」にある。中国の豊かになった消費者は、正しい専門知識と品質を適切な価格で届けてくれるブランドをいつでも歓迎している。
データ出所:ライオン株式会社 有価証券報告書・IR資料(2023〜2025年) / Euromonitor International「Oral Care in China」 / 中国産業情報網・艾媒咨询・QuestMobile / 歯磨き産業協会統計 / 編集部調査・推計を含む